私の宇宙人コンタクト

変性意識で臨む「コンタクトワーク」体験記

2019-07-01 明晰なモード


 この日は予報どおりの雨が降り出すまでは森の中で、その後は車中でのワークに切り替えるべく次の場所へ移動した。

 そこはほとんど崖と言っていい、山の急斜面にへばりいたテラスのような狭い一角だ。それだけに眺望は素晴らしいけれど、広々とした原っぱで起きるようなコンタクトは望めない。ただその場所にいると高いバイブレーションに共鳴しやすく、あるモードでのコンタクトが起きやすい特別なスポットだった。
 それは私の内側で起きるタイプのものなので、野外に出る必要はない。つまりそこは雨天時の車内ワークにうってつけの、代替ワークサイトになる訳だ。

 現地には23時頃に到着。準備の必要もなく、そのまますぐにワークを始めた。


傾向が違う変性意識

 私にコンタクトが起きるときの変性意識には、特徴の違うものが大きく分けて2つある。

 コンタクトサイトに宇宙人が降り立ち、私に触れたり対面したり一緒に周辺を歩いたりするような、フィールド展開型のコンタクトが起きるとき。私を包むバイブレーションは軽やかで高いものだ。ボディにはほの温かいお湯の中でウトウトしているような、ぬくもりと浮遊感を感じる。そして中心となるのはハートチャクラが開いている愛の感覚だ。私はそんな「ゆったりモード」でコンタクトすることが一番多い。

 それに対して、物理的制約とは切り離された、自身の内的スペースで起きるコンタクトがある。フィーリングはさっき述べたものとだいぶ違う、いやむしろ逆かもしれない。冷静、明晰、涼やか。少しだけ張りつめた感じも覚える。それらの変化は私の頭部で起きるもので、まずは眉間から頭頂へと違和感があり、それが圧迫感にまで高まるとやがて強く冷えてくる。

 この「明晰モード」で中心となっているのは、アジナーチャクラ(第三の目)だ。その影響なのか明瞭な視覚を伴うことが比較的多い。また意思の疎通というか会話がスムーズなのも、このモードの特徴だろう。

 この明晰なモードでのコンタクトは内的なスペースのみならず、どこか別の場所(例えば宇宙船の中など)へ肉体を伴わずに移動して始まることも珍しくない。しかし時として、コンタクトサイトのフィールドでの体験になることもある。次項後半で紹介する私の事例はそんなフィールドで起きるものだ。


2011年7月の事例

「明晰モード」のコンタクトで印象的だったのは、2011年7月に起きたヒューマノイドタイプの宇宙人とのものだ。その日はリサ・ロイヤル氏のコンタクト・リトリートに参加しており、事の始まりは彼女がリードする夜の野外ワークからだった。

 彼女がチャネルした宇宙人(プレアデスのサーシャ)は参加者を誘導瞑想で宇宙船内へと導いていた。それにより体験するのは内的なビジョンであったり、場合によっては肉体を伴わない意識による訪問であったりする。それは人により違うものになる。

 この時のことは彼女の著書『コンタクト─意識変容への扉』にも記されている。
 サーシャが「大型の母船が近くに来ています。みなさんをこの母船に招待します」と宣言。そのとき山の脇に、雲に似た巨大なレンズ型の何かが滞空する。肉体での乗船ではないとしても、かつて無い展開となる。「そんなばかな!」とチャネリングをしているリサ本人の理性が抵抗する。それでもサーシャは誘導瞑想で母船内の存在との交流を促した。
 おおまかにそんな流れだ。あと参加者の体験も簡単にいくつか紹介されている。

 さて、いつもは仲間内のグループワークをリードする立場の私は、気持ちの切替が下手なのか。リサが催すコンタクト・リトリートの参加者として瞑想の誘導を受けても、どこか寛げず体験に至れないのが常だった。またこの頃は機材を使って少しだけ、サーシャの誘導瞑想の手伝いもしていたから尚更だ。

 でもこの日はストンと、サーシャの誘導で体験に落ちた。
──以降の詳細は省く──

 確かに私は向こうの船内に居た。滞在時間は短くて、ほどなく戻ってきたのだが。充分だった。心に刻まれる出会いをしたからだ。 

 リサによるその夜のプログラムが終わり皆がホテルに帰った後も、私は山を降りず一人で現地に残っていた。そして深夜、ソロワークを開始して数時間後。何度目かの変性意識への移行で、突然意図せず「明晰モード」に入り始める。野外でのワークではあまりないことだった。

 額がぎゅうっと締め付けられると次に冷えてくる。目を閉じているのに視界が開け、眼前の野原や林が見えてきた。その拡がり続ける視野に飛び込んで来たのは、淡く白い光に包まれた小柄な人だ。それが居たのは、数時間前の集団ワークで奇妙なものが山裾の空に浮かんでいた方角で、この野原のへりにある林の辺り。その存在はそこから私に向かい一直線に、滑るように急接近して来る。その顔と姿は知っている、数時間前に向こうで会ったばかりなのだから。

 接近を受けるほんの数秒間、私は心臓を鷲掴みにされていたかのようだった。息を呑む美しさとそれを上回る畏怖に包まれた光景を、私は一生涯決して忘れないだろう。それなのに……。
 近くまで来た宇宙人と会話をひとつ交わしたあとの記憶がない。どうして!


車中ワーク

 遠回りした話しを本筋に戻す。夜半に移動してきたこの場所で起きやすいのは、つまり「明晰モード」によるコンタクトだ。いざワークを始めてみると、いつもと少し様子が違う。

 まず、あっという間に転がり落ちる勢いで、変性意識に入ってしまった。途端に頭が締め付けられ、間髪を入れずに冷えてくる。それも眉間ではなくて頭頂からだ。すると、冷水の層が車の天井から徐々に降りてくるように、頭、額、瞼と順番に冷えてゆく。「冷たい!」と声が漏れそうになるほど強くだ。さすがに違和感を覚え始める。

 そこで突然、頭痛が始まった。エネルギーが強くなる大人数のワークならいざ知らず、ソロワークで頭痛なんて記憶にない。

 おおよそ2分後、キリキリとした痛みがふっと消える。「ほっ」として、知らずに込めていた力を抜いたその瞬間、私は別の場所にいた。

 そう、確かに別の場所にいる。でも車中にある自分の肉体の感覚とも繋がりを感じている──だいぶ弱いけれど。だからと言ってこれは単なるビジョンではないし、体外離脱とも違う。

 コンタクト体験が深まってゆくある段階から、私は同時に2つの場所に存在する体験を時々するようになった。そして今回のこれもその類いだと感じている。
 ちなみに変性意識下にしては知覚がわりと明瞭なだけに、2つの場所の認識が入り混じり、始めは何とも奇妙な感覚に陥ったことを憶えている。


 私がいたのは、どうやら彼らの船の中のようだった。しかし残念なことに視覚チャンネルの活性化が弱い。おかしなもので私の場合、宇宙人がすぐ近くにいるとこうなることがある。彼らが離れているときは、自在に動くドローンカメラのような視点で、それも超高画質で周囲を観察できることもあると言うのに。
 ともかく、その部屋には誰かが居て私に話し掛けてきていた。いわゆるテレパシーというやつで。

「だから、君はもっとここに来るべきなんだ」

 と、いきなり断定されるカットインで戸惑った。なになに?

「来られるんだから。いや来る手立てを持っているんだから」

「…………」

 まあ、取り敢えずは呑み込んだ。ただこの存在、ちょっと癖がある感じだな。でもテレパシーであるなら、案外共鳴する私のバイアスかもしれないし。ちなみにこの存在は男性だ。種族はゼータ・レチクル系だと思う。

 彼の話しを少しのあいだ聞く。私のことを思って言ってくれるのがよく伝わる。彼が言う「来る手立て」とは、2年前、2017年の夏にゼータ・レチクルの存在たちと、とても深い体験をした際に与えられた(シンボル的な)ものののことだろう。なんとなく素直になれない私だけれども、彼の指摘はもっともだった。

 やがて彼は部屋を出る。私もあとに続く。

 それは突然だった。歩いていて不意に視覚のスイッチが入ったのだ。その目が最初に見たもの、つまり向けられていた視線の先にあったのは

「これって床……だよな。やはり継ぎ目みたいなのがあるんだな。ん? へー、ちょっと黄色っぽいんだ。白とかグレーじゃないのもあるんだな」

 なんと床だ。なんで床? そして心のつぶやきは、そのつもりでもそうはゆかない。

「床がそんなに珍しいですか?」

 こんなふうに聴かれてしまう、テレパシーはいささか厄介なのだ。私は胸の片隅で小さく嘆息し、無念無想でついてゆく。なぜか相変わらず床を見下ろしたまま。

 とある部屋に入る。ただその部屋の仔細は印象に残っていない。というのも部屋の中央からやや奥の壁寄りに設えられたものに、私は目を奪われたからだ。とても重要なものらしく、彼はそれを見せるために私を連れて来た。

 それは角柱のようなもので、高さは人間の背丈よりも少し低く、太さは一辺が30センチほどだろうか。その上端に柱の径よりも少し大きな黒っぽく見える球体のようなものが乗っている。彼からの説明は何もなかったし、私もなにも訊かなかった。

 角柱と球体に「のようなもの」と曖昧な言い方をするのは、その言葉どおり。常に揺らいでいて見た形が定まらないからだ。動いているのだろうか。もし回転していたとしても、あんなふうに見えるのものだろうか。とにかくそれは奇妙な状態の不可思議な構造物だった。
 ぽかんと眺めていたら──ブツリと、そこでの認識が終わった。


 一瞬にして車の中だけの自分になる。戻った、と言うより向こうの自分のスイッチを切られた感じだ。それについてゆけずにまだ茫然としている。痛みはもとより、もうあの冷たさは頭部に残っていなかった。

 それから後は、何度か変性意識に入るも特になにかが起きることもなく、空が白みだした3時半、小鳥の囀りを合図にワークを終えた。結局、雨はそんなに降らなかったようだ。

あとがき

 このコンタクトの訪問先で通路を歩いた時、私はなぜよりによって床だけをひたすら見続けていたのか。これがずっと疑問だった。そして思い至った。あれは、顔を上げればそこに宇宙人がいたからではないのかと。宇宙人の顔だけがぼやけて見えないという私の課題に関係するのではと。

 もし顔を伏せてまでして宇宙人が視界に入るのを避けているのなら、それは顔が「見えない」という成否の話ではなく「見たくない」という心の問題になるだろう。願わくば違っていて欲しいけれど、そうであるならこの課題には正面から向き合いたい。そう思っている。

[旧題:見えないのか見ないのか]
(2021-02-27 改題・改稿)
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